アオティーサバーイジャイ生活@タイ

เอาที่สบายใจ(アオティーサバーイジャイ) どうぞお好きなように~ Amazingなタイランドでの日々。

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誰が言ったか、というのはけっこう大事だよね

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私がタイに移住してきたのは2012年の5月。

もう日本にいたくない!!と思って後先考えずに飛び出した訳ですが、理由はたぶん昔ブログにも書いたし、noteの4コマ第一話目にもざっくり書きました。

「大きくなって幸せに笑っている我が子が想像できなくなったから」

小さい理由も挙げればもっとあるけど、根っこはこれです。
社会的弱者の私が、ここでこの子を幸せにできるだろうか。っていう。

 

自慢じゃないけどほんと何も考えずに生きてきました。(ほんと自慢にならない)
政治だの社会だの興味もなかったし、楽しければそれで良かった。
20代は遊ぶことしか考えてなかったし、子供を産んだってたいして立派な人間にもなれなかった。
それはまぁ、今もなんだけれど。

 

***

 

移住を決める直前まで、ワープアシングルマザーだった私は市役所の臨時職員という仕事にありついて、契約が満了したら次はどうしようなんてぼんやり考えながら予算を使うために生み出された仕事をこなしていた。
市民課に配属され、確定申告の忙しい時期だけお手伝いする事務職員。
忙しい、といってもほんの数日だけで、あとは暇を持てあましてお茶くみだのコピー取りだの小学生でもできそうな入力作業だの雑用を淡々と。

市役所の人たちは基本的にとても穏やかだった。
なんせ暇だ。キリキリする必要がない。
たまに出る愚痴は、対して良い待遇でもないのに市民から冷たい目で見られるというようなことで、仕事自体の負担はさほど無く、職場の人間関係も極めて良さそうな印象を受けた。
退職間近の課長はとび抜けて穏やかな人で、日がな座って新聞を読んだりしている、書類にハンコを押すだけの置物のようだった。


まったりとおしゃべりしながら5時のチャイムが鳴るのを待つ毎日。
そんな中でも、たまにつらそうな愚痴を聞くことがあった。
国保課の人たちの隣で作業している時だ。

彼らはよく仕事がつらいと言っていた。保険料が払えない人に取り立てをするのが一番つらい、きついとこぼしていた。
そうだよなぁたしかに、いい気分のする仕事ではないよなぁ。そんな風に思いながら聞いていた。
そんな折に耳にした言葉が、頭から離れなくなった。

 

「ほんとやになるよ。第一無理があるんだって今の社会保障。持たないって。給料の半分税金で持ってかれるようになるのはそんな先じゃないよ。なんのために働くんだよ。」

 

どこでだって耳にできるよくあるセリフだ。
でもこれが例えば自分の母親とか、友達とか、普段のおしゃべりの中で聞いていたら多分私は聞き流していたし、それまでそうだった。
「だよね~心配~」なんて言って。
「半分税金で持ってかれるとか無理なんだけどー」みたいな。

そんなセリフが刺さったのは、彼が市役所の国保課というところで、日々社会保障の現実を目の当たりにしていた人だったからじゃないだろうかと自分で思う。
妙にリアルに聞こえたのだ。

 

賃金も上がって税金も上がって、社会保障が充実するならそれはアリだと思うけれど、そうなるようには思えなかった。

私は定職にも就けないシングルマザーで、こんな私が自分の子供にどれだけ教育を受けさせてあげられるだろうか。
学歴を得られなかった子がゆとりのある生活を送れる職業につけるだろうか。
自分で仕事を生み出せる人になれるのであれば問題ないかもしれない。どこかで自給自足して生きていけるとか、好きなことを見つけて自分で未来を切り開いていけるとか。

 

でも、そうじゃなかったら?薄給のサラリーマンにしかなれなかったら?
税金を払うために仕事するような未来で、ささやかな幸せを感じて笑って生きていけるだろうか?
世の中はお金じゃない。でも、お金がほんとになかったら、あるはずだった心の余裕さえ奪うこともある。

 

***

 

そんなことを考え出したら、日本でしか生きていけないことを酷く怖いことのように感じてしまったんです。
この課題山積みの、弱者に冷たい日本で、日本語しか話せなくて日本でしか生きていけなかったら、日本がダメになった時巻き込まれるしかないのでは。

 

海外で子育てしてみたい。
どこででも生きていける子にしたい。
いつか自分で選んで日本に戻るのならそれでもいい。
なるべく自分で選んで、好きな場所で生きていけるように。
危険を感じたらひょいっとどこかへ逃げられるように。
要らない苦労も我慢も、しなくていいならしないで欲しい。たくさん笑って生きていって欲しい。

なんてことないありふれたセリフが私の背中を押したのは、私が耳を傾けたから。

同じ言葉でも誰が言うか、受け取る側がその人をどう思ってるのかって大きいんじゃないだろうか。
先のことを考えない私が唯一考えた、我が子の明るくない未来。
移住するきっかけをくれた彼には感謝しています。名前も覚えてないけれど、彼はたしかに私の背中を押したひとりです。

彼の方はきっと、あの時横にいた臨時職員が、自分の言葉を胸に海を渡ったなんて思ってもみてないだろうけど。

 

人生の節々で出会う忘れられない言葉。

良い言葉、嬉しかった言葉もあれば酷く傷ついて忘れられない言葉もある。

その背景には誰の言葉だったか、というのも無関係ではないんじゃないかなぁ、と、なんとなく思ったのでつらつらと書きました。

 

おしまい。

 

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