TwitterのTLに、あの日の記憶や、黙祷、という言葉が並ぶ日が今年もやってきて、必然と思考が引っ張られる。
なんとなく、なんとなくあまり積極的に話題にしたことがないのは、たぶん引け目を感じているからです。
「ふだんほとんど言及しないくせに、3.11にだけなんか語り出す」ことと、移住の要因の一つでもあった3.11があって今自分がここにいてとても楽しく生きていることに。
3.11があったから出会えた人たちがだいすきで、会えてよかったと思っていることに。
そしてそんな必要など無いであろうことも頭ではわかってる。
ブログを開いたら投稿記事数が311でした。これが312記事目。
自分のブログを少し遡ってみたら当日には一度も話題にしていなかったみたいです。
去年なぜかnoteには書いていたので、読み返してみたらそこにはずっと変わっていない私の気持ちが書いてあって、これだけは書いてよかったなと思いました。
なんとなくこれを書いたのは今があの時に少し似てるから。
コロナという目に見えない脅威から生まれる差別と分断を眺めているとかなしくなってきて最近はちょっと目を逸らしています。(手洗いうがいだけはしています)
私は今日も明日もあいもかわらず子どもたちをこねくり回してあーなんてしあわせなんでしょうなんて思って、彼らが寝たらそっとベッドを抜け出してcakesの締め切り間に合うのか…?と焦りながら作業して睡魔に勝てずに寝てしまってまた寝坊して、週末友達と遊ぶの楽しみだなぁ!ってわくわくしながら普段通りの生活を送ります。
ときどきチラリと、あの男の子の後ろ姿を思い出しながら。
帰ったらキッズにいっぱいハグとチューをしよう。