ルドゥーフォン(雨季)が終わってルドゥー(季節)ナーオ(寒い)になったタイランドからこんばんわ。
「どこが寒いんだ」とタイ人も言うぐらい暑いですが、プールの水が冷たくなって参りました。
さて最近勤務先の雰囲気が悪すぎて精神的な疲労がすごいんス、なのは先日書いたんですけども
(リフレッシュな週末。が必要なぐらい疲れてたっぽい - アオティーサバーイジャイ生活@タイ)
そんでまぁ改善は未だできていないんですけども、
なんとかもうひとりの現地採用の方と試行錯誤しながら奮闘中です。
そんな中でとあるタイ人スタッフと話して感じたこと。
得意の夜中の独り言です。
先日、ぼっすの愚痴からはじまって鬱の話になり、その延長で日本にはたくさんそういう人がいること、
「自分は何もできない」「他の人のようにうまくやれない」「自分には価値がない」。
そんな風に心を病んでしまって、人によっては学校や仕事に行けなくなるんだという話をしたら、
彼女は心底びっくりして、
「そんなことはないのに!どうして?何が得意かはみんな同じじゃないけど、価値がないなんて絶対にないよ!みんなあるよ!」
と言った。
「どうしてそんな風に思うの?」と。
その、なんというかスルスルととても自然に出てきた強く否定する言葉と酷く驚いた顔に、思わず感動してしまった。
否定するべきで、至極当たり前のことなのに。
どうしてそう思うのか、の答えもうまく見つけられなかった。
うちで働くタイ人スタッフはいわゆる作業員であって、学歴はほとんどない人ばかり。ばりばりのローカルタイ人です。
就ける職業も限られていて、お給料も安い。
すごく嫌なのだけど日本の人の中には一定数こういったローカルタイ人を見下している人もいるし、なんならタイごと「後進国」と呼んで馬鹿にする。
タイの教育水準は高くないのかもしれない。
識字率で言ったら日本が断然上だし、公立校と私立校の差もあまりないように思う。
でも、タイより教育水準の高い日本の人が、彼女みたいにきっぱりと否定できるだろうか?と思った。
「そうなんだ、かわいそうだね。」と同情はするけど、鬱や自殺の話題に慣れすぎて、少し鈍感になってしまっている気がする。私自身も。
彼女のように当たり前のことを当たり前に考えられるのであれば「自分には価値がない」と思うこともないだろうし、心を病んでしまう人や自殺してしまう人ももっと少ないのではないだろうか。
その原因となる人を追い込む言葉や行為も、もっと少なくあるべきではないだろうか。
家庭でなのか学校でなのかわからないけど、ちゃんと自分を愛せるようになる教育をしているのはタイの方なのでは、と感じたひと言でした。
先進国って、後進国ってなんなんだろう。
経済的に良い暮らしをしていることと、しあわせかどうかは必ずしもイコールではないよなぁ、と。
タイにいるとそう思うことがよくあります。
お金、めっちゃ欲しいけどね!笑
子供たちが彼女みたいにきっぱり否定できるようになるよう、たくさんの言葉を刷り込んでいきたいなぁ。
いつかしんどい事にブチ当たった時に彼らを支えてくれるように。と改めて思った、「楽しい嬉しい感情は将来の自分の支えになる」信者のおこめなのでした。
おやすみなさい☆
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